ゴルフ界の歴史に新たな1ページを刻んだ、松山英樹選手のマスターズ優勝。日本人初の快挙は、世界中のゴルフファンを熱狂させました。この記事では、松山英樹選手のアメリカ男子ゴルフツアー「PGA」で積み重ねた11勝、その偉業達成の軌跡を紐解いていきます。
アマチュア時代からプロ転向、そして世界最高峰の舞台PGAでの活躍まで、数々の挑戦と努力を重ねてきた松山選手の歩みを辿りながら、その強さの秘密に迫ります。ゴルフファンはもちろん、スポーツ好きの方なら誰でも楽しめる内容となっていますので、ぜひ最後までお読みください。
他の選手よりもスーパーショットが多い松山英樹選手、現地の解説者が興奮してしまうほどのプレーを数多く見せてくれる松山英樹選手は、今後まだまだ活躍してくれるでしょう。この記事では8勝目から11勝目までの軌跡をご紹介します。
2022年1月「ソニーオープンインハワイ」8勝目
アメリカPGAのツアーで日本人として初めて優勝した青木功プロはこの「ソニーオープンインハワイ」でした。キャディーのアドバイスを聞かずクラブを選んだ青木功プロが、劇的なチップインで優勝した大会としても有名な大会です。
首位と2打差で最終日をスタートした松山英樹選手。前半9番終了時点では、2サムで回っていた最終組のラッセル・ヘンリー選手に5打差をつけられていました。最終日のバックナイン、10番から2連続バーディ、15番でも5.5mのバーディパットを沈めて1打差に迫りました。
そして最終18番(パー5)でもバーディを奪取、この日「63」というスコアを叩き出しプレーオフにこぎつけました。迎えた18番でのプレーオフ1ホール目で、眩しい夕陽に向かって打った2打目がピンそばに付き、イーグルを奪ってプレーオフを制しました。この時点で松山英樹選手はフェデックスポイント1位になっています。
2024年2月「ザ・ジェネシス招待」9勝目
2022年の優勝から2年、優勝から遠のいていた松山英樹選手。体調が悪い時期もありなかなか結果が出ない中、9勝目を挙げたのが「ザ・ジェネシス招待」でした。シグネチャーイベントはランキング上位の限られた選手しか出る事が出来ない大会で、賞金もポイントも他のレギュラーツアーよりも高い大会です。
首位とは6打差7位で、最終組よりだいぶ早いスタートでした。この日の松山英樹選手は神懸かったプレーを披露、3連続バーディを3回奪って、ボギーフリーの9バーディで、「ザ・ジェネシス招待」最終ラウンドでの大会コースレコード「62」をマーク、通算17アンダーで逆転優勝したのが自信9勝目となった大会でした。
テレビで見ていた私は、後続組がスコアを伸ばさないよう祈りながらの観戦でした。
2024年8月「フェデックス・セントジュード選手権」10勝目
9勝目を挙げてからなかなか調子の上がらなかった松山英樹選手でしたが、パリオリンピックでは見事銅メダルに輝き、そしてプレーオフシリーズに入った初戦「フェデックス・セントジュード選手権」で節目の10勝目となりました。
2位に5打差をつけて最終日をスタートした松山英樹選手。前半8番(パー3)で10mを超えるロングパットを決めてバーディを先行させました。
前半9ホールを5打リードで折り返すと、3パットした12番ホール、1打目を池に入れた14番ホール(パー3)とボギーが続き、アプローチミスも重なった15番ホールを4オン2パットのダブルボギーとして後続に抜かれ、1打差を追う立場に変わりました。
首位タイで迎えた17番について「これが入ればすごくラクに18番にいけると思っていた。あまり考えずに無心で打ったら入った」と本人が振り返っていた17番ホールで8mのバーディパットを沈めて、力強いガッツポーズを見せ再び単独首位に立ちました。
最終18番ホールも2mのチャンスにつけるバーディで締めくくり2打差で逃げ切り10勝目。連続優勝の掛かった翌週の「BMW選手権」は腰痛が悪化した為、2日目のスタート前に棄権しました。テレビで松山英樹選手が出てくるのを待っていた私は、「WD」が付いたリーダーボードを見てとてもがっかりしたことを今でも覚えています。
2025年1月「ザ・セントリー」11勝目
2025年シーズンの開幕戦でシグネチャーイベントの「ザ・セントリー」でいきなり72ホールの最多アンダーとなる35アンダーで優勝しました。32アンダー2位でフィニッシュしたコリン・モリカワ選手もお手上げな、圧巻の4日間でしたね。
前半9ホールを「32」で回り、2位コリン・モリカワ選手に4打差をつけ後半へ。その後半は一時2打差に迫られましたが、16番ホールで第2打をピンそば1mに絡めてバーディを奪い3打差に広げ、17番ホールでは5mのバーディパットがピンを2m弱オーバー、しかしこの長い返しのパーパットを決めると、パー5の最終18番でバーディフィニッシュを決め35アンダーで優勝しました。
ホールアウト直後のインタビューでは「コリンがきのうみたいに伸ばすと思っていたので、スコアを出さないと逃げ切れないと思っていた」と振り返りました。
35アンダーのツアー記録については「最後の(バーディ)パットが入るか入らないかで、そういう感じはしていた。記録を出せてうれしいなと思います」と笑顔を見せ、開幕戦優勝の要因を「オフですごくリフレッシュできて、ここからスタートするという気持ちでできた。それが良かったかなと思います」と話していました。
ここまで4つの記事に渡って松山英樹選手の11勝の軌跡をお伝えしてきました。1992年2月生まれの松山英樹選手は2月25日で33歳になります。ゴルフは息の長いスポーツですし、40代50代の選手もPGAで活躍していますので、ケガにだけは注意してなるべく長く現役を続けて欲しいと願っています。
最近は予選から4日間、18ホールをテレビで見られるので、木曜日の夜から月曜日の朝まで不規則な生活になっている筆者です。それでも松山英樹選手が活躍してくれれば、寝不足もふっとびますのでこれからもまだまだ、勝利を重ねていって欲しいです。
12勝目13勝目を手にした時には、また松山英樹選手の優勝への軌跡を、この記事でご紹介していきます。
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